不思議の国の音哲樂 まやかし篇
不可思议之国的音哲乐 虚假篇
われ思う、故に我あり―――。
デカルト(仏?哲学者 1596-1650)「哲学原理」より抜粋
【我思故我在……
——[法]笛卡尔(哲学家,1596-1650) 摘自《哲学原理》】
この世はまやかしの様なものだ。
唯一、確かなものがあるとすれば、其れは 「考える」 という行為だけだ。
这个世界像是虚假的一样。如果说有实在的事物的话,那只有唯一的“思考”这个行为了。
この世の全ての“存在”を証明する事は誰にもできない。だが、それらの存在を“疑っている自分自身”は、確かに其処に存在する。
全ての事柄を疑って観る事で、真理を見極めようという考え方を説いている。
将这个世界上所有的“存在”证明之事谁都无法做到。但是,“正在怀疑此事(万物存在)的我”却确实存在于此。
说明了怀疑一切,从而找到真理的思考方法。
人も世も、本来の姿を見せようとはしない。誰しも少なからず虚勢を張っているからだ。人が作り上げたものであれば、なおさらである。
しかし人の多くは、深く考えず、そこに導き出された姿こそが真実であると捉える。誰も疑おうとはしない。
人也好世界也好,本来的姿态是不可见的。因为谁都在虚张声势。人所创造出来的东西,就更不用说了。
但是将大多数人的、深刻的思考所得出的答案作为真实,是谁都不会怀疑的。
人はより深く考える事で、その存在の真理を見極める事ができるのではないだろうか。
デカルトは今もなお、人に本質を問いかけ続けている。
人再思考得深些,不也是可以看清存在的真理的吗。
笛卡尔直到今天,仍在向人们询问着世界的本质。
自学日语的渣翻译,有错误望指出